fc2ブログ

記事一覧

松本零士さんと日本のピラミッド

「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」などで知られる松本零士さんが、13日に亡くなっていたというニュースが駆け巡りました。
フランスの「ルモンド」紙は
『宇宙オペラの指揮者の1人であり、日本漫画の世界的スターが終わりを迎える』
と報じるなど、その影響は世界的なものでした。

  ☆

さて、松本零士さんが、かつて「日本のピラミッド」探求に熱心であったことは、あまり知られていません。

下は、昭和59年の、サンデー毎日です。
「大追跡 日本にピラミッドがあった」という特集が大々的に組まれていました。


11_20230221150221a62.jpg
(これらはキャンペーンのごく一部です)


その中で松本零士さんは、ピラミッド記事に関わるイラストを担当されています。


12_202302211502290b5.jpg


・・・《消去済み》・・・


しかし、単にイラストを頼まれただけではないようです。

下の告知記事をご覧ください。


20_20230221150220343.jpg


「日本のピラミッド」緊急シンポジウムが、毎日新聞東京本社大会議室で開催されるというお知らせです。
パネラーは11人ほどで、地質学や国文学や歴史学の大学教授や専門家が主ですが、松本零士さんは小松左京さんの次、つまり2番目に名前が書かれています。

私自身はこのシンポジウムに聴衆として参加していませんが、いずれにせよ松本零士さんが単にイラスト担当だけではないことは明らかです。

  ☆

当時、サンデー毎日の編集長は、後に毎日新聞特別顧問になり、さらには著名な政治瀬評論家として有名になる岩見隆夫氏でした。
加えて、毎日新聞社主筆を経て、近年までTVコメンテーターとしてTBS『サンデーモーニング』『NEW23』などの番組でお馴染みだった岸井成格氏が、ピラミッドキャンペーンのキャップでした。なかなかすごい顔ぶれです。

のちには共に毎日新聞社のリーダーとなり、権力側と真っ向勝負する2人が推し進めるキャンペーンだったわけですね。

下の緊急増刊号には、「東京アピール」なるものが掲載されていました。


40_20230221150243da7.jpg


現代社会ほどロマンが消失した時代はないのではないでしょうか
という文で始まるアピールには、
ピラミッドがあると考える私たちの企画は、巨大なドグマであり、非常識であります。だからこそ私たちの試みは、現代の閉塞した状況に風穴をあけ、新しい発想を生み出す、大きな一歩になると信じております。
と書かれています。

岩見隆夫氏も岸井成格氏も、歴史学界の大勢から無視されるのを承知で、閉塞した状況に風穴を開けてロマンを取り戻し、新たな文化の地平を切り開く、という夢に懸けたのでしょうか。

 ☆

さて、ここまでお読みになった皆様の中には、「週刊誌の記事をそのままコピーして載せるのはマズいだろう」、という疑問の声もあろうかと思います。
実は、『飛騨高山の神秘に迫る』の号には、飛騨高山の位山に関する探検記事が載っていますが、このきっかけを説明します。


55_202302211502374a3.jpg


私は大学の古代史サークルで古代信仰を調査していましたが、日本テレビが歴史番組で放送するために作成した内部資料をたまたま持っていました。その中には、制作プロダクションの方が飛騨高山へ飛んで手に入れた、大変貴重な、そして謎めいた資料や地図もありました。
大和書房とNHKが組んでブームを作り出した、あの「太陽の道」のような路線だったのでしょうね。

実はその資料を、「飛騨にもいろいろありますよ」と岸井成格さんたちに見せたのです。たまたま京大の左合技官も飛騨高山の重要性を認識しておられたため、
「よし、次の特集では飛騨高山にスポットを当てよう」
と決まりました。(この流れは、サンデー毎日誌面にもある程度書かれています。)

まあはっきり言えば、他局の極秘資料をちゃっかり横流ししたことが、この企画の動機のひとつでした。

日テレさんの資料ですと言って岸井成格さんに見せたのか、それとも自分たちのオリジナル資料のような顔をしてシレっと見せたのか、もはや覚えてはいないのですが・・・・(>_<)

まあそういうわけで、関係者の一員でもあるということから、誌面をしばらくパクらせていただきます。
(ただし松本零士さんのイラストは、古ぼけてピントも甘い撮影とはいえ、芸術作品でもありますので、10日間で消去いたします。)

 ☆

サンデー毎日のこの特集記事には、≪読者からの情報提供激励の手紙≫というコーナーがありました。
飛騨高山特集の号でいえば、

山口県防府市の天神山
大分県西国東郡の猪群山
兵庫県西宮市の北山巨石群
愛知県瀬戸市の岩屋堂
各地の盃状穴


などの情報が、各地から寄せられていました。

いずれも重要な情報であり、例えば、最初に出た防府市の天神山はこれです。


31_20230221150214d11.jpg

32_20230221150229874.jpg

33_2023022115022729f.jpg

35_20230221150244504.jpg

34_convert_20230221145901.jpg

36_20230221150243f74.jpg


この時から40年近くたちますが、いまだにここを神体山および奥津磐座と認識した調査はされていません。
菅原道真を祀る天神さんということで、元々は古代の神体山信仰だと考える人はほとんどないのでしょうね。

令和の現代には、知的歴史ロマンは、もうすっかり薄れたのでしょうか。

  ☆

生前、松本零士さんは
「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」
と常々話されていたと聞きます。
地球を離れ、時の輪の接する処を目指して、もうすでに旅を始められたのでしょう。ひょっとすると、宇宙戦艦ヤマトのワープ航法で、一瞬のうちに到着されたかも(^^♪

その目的地で出会う人の中には、部分的な造成であれ日本のピラミッドを創った古代人もいるかもしれませんね。
岸井成格さんたちと、
「ほら、やっぱりそうだったじゃないか!」
なんて、笑っておられる姿が目に浮かびます。

ロマンを忘れない、それでいて一本筋の通った人々は、やっぱり素敵ですね。


三つクリックしていただくと、ネタ探しの元気が出ます。よろしくお願いいたします(^_^)/~
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

神社・仏閣ランキング

コメント

おはようございます

大変興味深く拝見しました。
当地には大昔、「七所天神めぐり」という風習があったと古老から聞きました。天神というと地元の人は「菅原道真」といいますが、この天神めぐりは太陽信仰の名残なんです。

ここは大きな沼や湿地帯を囲むように3方を山で囲まれた地形ですが、東の山から西の山へかけて7つの天神が祀られていて、村人は日の出から日没まで太陽の動きと共に移動して拝むというものでした。

今はその7つの天神宮も開発や合祀で跡形もなく消えてしまいました。この風習も江戸時代の巡検日記と数年前に100歳で亡くなった方がわずか数行、郷土史に残しているのみです。スタート地点には巨石「鈴石」(鈴石天神=石亀天神)が今も残っています。

Re: おはようございます

ちから姫様

> ここは大きな沼や湿地帯を囲むように3方を山で囲まれた地形ですが、東の山から西の山へかけて7つの天神が祀られていて、村人は日の出から日没まで太陽の動きと共に移動して拝むというものでした。


貴重な情報ありがとうございました。

〈日の伴〉や〈日迎え日送り〉の行事の中でも、東西にしっかり歩くタイプは兵庫県など近畿中心だと思い込んでいたのですが、山口県にもあったのですね。
グーグル地図でとりあえず防府天満宮の東西を調べてみましたが、そう簡単には謎解きのヒントは見つからないようでした。時代の流れでずいぶん変化しているなら、今となっては検証が難しそうです。
いずれにしろ、天神山がどうかかわっている太陽信仰なのか、たくさんある磐座はどんな役割なのか、謎がさらに深まりました。もし防府に行くことがあれば、図書館にでも行ってみます(^^♪


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア