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ケルト十字から考える、原始神道と仏教と天孫降臨

これはケルト十字です。


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(ウィキペディア)


ケルト系キリスト教(Celtic Christianity) あるいはケルト教会 (Celtic Church) は、ケルト文化を残したままキリスト教化した信仰文化だとされます。

一方日本においては、じばしば原始神道・自然神道がその特色を残したまま、仏教化したケースもみられます。

例えば、京都府笠置町の笠置寺
ここには、高さ15mの巨石に刻まれていた「弥勒磨崖仏」がありました。


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しかし、笠置寺の巨岩の下からは、弥生時代の石剣が発見されています。


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摩崖仏と石剣、奇妙な取り合わせですね。
このことに関して、笠置寺ホームページにはこう記されています。

笠置寺の創建は古く、すでに2000年前から笠置山の巨石は信仰の対象となっていた。このことは笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる。しかし実際に建物が建てられ人が住み着いたのは1300年前である。1300年前、東大寺の実忠和尚、その師 良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。

アニミズム的な原始神道・自然神道から、仏教への流れがあったことが分かります。

ケルト文化+キリスト教の十字架=ケルト十字
であるならば、
神道文化(磐座文化)+仏教の摩崖仏=神道摩崖仏
なのかもしれませんね。

このようなケースはたくさんあります。
しかし日本の信仰文化の中には、神社神道の方が、後世に融合したケースもあります。

これは、沖縄県那覇市の波の上宮を背後の海から見たところです。


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(矢印は観光客です。大きさがわかると思います。)


琉球八社のひとつである「波上宮」は、琉球八社の中でも一番格式高い神社として、地元の人からも深く崇拝されています。
しかし波上宮の裏には、海を臨む御嶽(立入禁止)があります。このお社は、もともと琉球古来の神に祈りを捧げる聖地・拝所だったのです。

『琉球国由来記』によれば、里主が釣りをしている最中に光る霊石なるものを発見、これを国王に献上したところ、波上に神社を建て祀られたのが始まりと伝えられています。
あるいは南北朝時代の1368年(中山王察度の治世)、真言宗の僧である頼重(らいじゅう)が波上山三光院護国寺を建立し、琉球で最初の密教道場となり、その護国寺に付帯して創建されたのが波上宮ともいわれるようです。

現在の祭神は伊弉冊尊・速玉男尊・事解男尊ですが、これは明治以後に祭られた本土の神だとか。
いずれにせよ、本土の神社とは成立の歴史が異なります。

 ☆

しかし、信仰の流れがはっきりしない場所もたくさんあります。

これは、大阪府能勢町の行者山。


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笠置山の巨石信仰のような、目を見張る巨石が累々とあります。
さらに、行者山の背後に続く剣尾山頂上には、磐座かと思える巨石がごろごろしているのですが、かつては月峯寺(げっぽうじ)の伽藍が広がっていたとか。
神社はなかったようで、笠置山の様な古代の遺物も見つかっていないようです。
この月峯寺は推古天皇の時期、百済の僧であった日羅(にちら)が修行したと伝えられています。百済仏教が直接流入したのでしょうか。

  ☆

ただ、少し気になる謎めいた事実があります。
行者山の山頂から真南へ2.5㎞に鎮座する岐尼(きね)神社は、主祭神が『天孫瓊々杵尊』で、なんとこの地に天孫降臨伝説が伝わっていたのです。

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岐尼神が南の小丘に降臨したもうたとき、土民は臼の上に杵を渡し、荒菰を敷いて迎えたという独自の神話です。日本神話の模倣ではなさそうですね。

そして、神が降臨した南の小丘とは、ここです。


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行者山の山頂・岐尼神社・南の小丘・・・
この三点は、見事なくらい南北線上に位置しています。意味ありげなのです。

そもそも比較神話学の知見では、日本の天孫降臨神話は内陸アジアから朝鮮半島に広がる王権神話の一つとして類型化されます。ひょっとすると日本神話の天孫降臨とは別に、垂直降下型の王権神話が独自にこの土地に伝来していたのでしょうか?

この、何とも畏怖感のある、行者山の巨石群。


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何か知られざる由来、知られざる信仰の変遷があったとしても不思議ではない、そんな気がしてなりません。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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