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妙義山「中之嶽神社」と冬至の太陽信仰

下の写真左側は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡、青森県の三内丸山遺跡のシンボルである巨大やぐらから見た、「冬至の日没」です。


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上の写真は、『縄文学の世界(小林達雄編集)』からお借りしました。


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このやぐらの巨大さは、下を見ればわかると思います。


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ただ、現在は柱が中半端に立っているだけですが、シンプルに柱だけだったのではないかとか、逆に装飾性の高い凝ったものだったのではないかとする意見などもあります。
ひょっとすると、天文学的な知識をしっかり取り入れた、複雑な建築物であった可能性もありそうです。

前回記事では、「クリスマスも冬至正月も天の岩戸神話も、それぞれの祭祀的土台は同じということになります。」
という結論でしたが、冬至を重要視するこの伝統は、縄文時代から続く文化なのかもしれません。

  ☆

さてもう一度、最初の写真の右側をご覧ください。
それは群馬県安中市の野村遺跡から見る、妙義山へ沈む「冬至の日没」の写真でした。

下は、その妙義山の中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)。


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シンボルである日本一の大黒様は、黄金色に輝いています。まあ、感想はいろいろあるでしょうが・・・

重要なのは、大国さんの背後にそびえたつ轟岩です。


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この岩は中之嶽神社のご神体であり、社殿は拝殿・幣殿のみという、日本の原始信仰を今に伝える貴重なお社です。


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そもそも妙義山には、巨大な奇岩怪石が連なっています。


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私は轟岩を見ると、人間あるいは神が、背中合わせに立っている姿に見えます。


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太陽信仰と人型信仰にかかわる聖地として、縄文人が麓から見上げていたのかもしれませんね。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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