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岩壁の聖地・鳳来寺山と白山神社と隼山大師堂

愛知県新城市の鳳来寺山(ほうらいじさん)は、標高695mの山で、国指定名勝・天然記念物にも指定されています。


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ここは約2000万年前の火山活動で噴出した標高695mの死火山で、流紋岩、松脂岩、凝灰岩などからなる岩肌が、ところどころで露出しています。
鏡岩(屏風岩)に代表される、その幻想的な岩肌を露出した美しい山の姿は、古くから山そのものが信仰の対象となり、やがて修験者の聖地、真言・天台の密教の道場として栄えてきました。山中は神社仏閣の一大聖地でした。


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仮にこれを岩壁・岩盤信仰とします。



では、もうひとつの岩壁・岩盤信仰。


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これは、兵庫県姫路市、播但連絡道路花田インターの東方にある山です。


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社殿の背後は、巨大な岩盤そのもので、これを磐座として信仰が発生したのでしょう。
いろいろ調べると、ここは白山神社で、主祭神は菊理媛神、配祀神は 戔鳴尊・伊弉冊尊・伊弉諾尊とあります。              

元文5年(1740)の『白山権現社記』によると、

播州印南郡志方庄志吹村の大岩の上に鎮座まします大神は、神代の昔、イザナミの尊が泉津平坂から千人で大岩を引いて来たとのいわれにまつわるもので、その大岩は形が蝶に似ていたので蝶子岩ともいう。村人はご神体として崇め、お祀りす。

とあり、この岩の背後は黄泉の国であったと信じられていた可能性があります。
このように、均整の取れた巨大な岩盤、岩壁は、神仏に関わる聖なる場所でした。

類例は国内にたくさんあります。


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  ☆

で、今回のテーマです。
これは、小豆島航路のフェリーから見た遠景です。


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見事な三角形の岩壁が目立ちます。
これが神聖視されないわけがないという、特別な存在感ですね。

望遠でよく見ると、下には建物があります。
結構大きいようです。


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そもそも小豆島には、岩壁の下に建つ寺院も結構あります。


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ただし、直下のお堂からは、近すぎて岩壁の全体像はつかめないのです。
こんな条件の小豆島札所もいくつか探訪しましたから、ひょっとすると行ったことのある場所かもしれません。

フェリーから撮った写真は、以前から「あそこは何なんだろう?」と疑問に感じていましたが、グーグル地図の画像でひとつひとつ調べていけば正体がわかるかもしれません。
というわけで、やってみることに。

 ☆

記憶をたどると、神戸⇔土生航路のフェリーから見えたので、その航路に沿って山中の神社仏閣を片っ端から調べます。
すると、小豆島八十八ヵ所第三番札所奥の院、隼山(はやぶさざん)一心寺であることが画像から判明。

じつは、ここは訪問したことがある寺院でした。
車がすれ違えない、細くて急な山道を登った記憶があります。


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大きな建物なのですが、この時は全くの無人で、ネットには「廃墟?」という声さえあります。参詣者の宿泊施設だったようです

しかし、厚い信仰が感じられる本堂です。


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奥は、洞窟のように窪んでいます。
あまり深くはなさそうですが、小豆島によくある岩窟信仰型の聖地だと思います。


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そしてこの岩壁が、遠くから見ると三角形だったのですね。


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直下の本堂からは、三角形の岩盤・岩壁という全体像がつかめなかったわけです。

  ☆

『古事記』には、イザナギ・イザナミの二神が、10番目に「小豆島(あづきじま)」を国生みしたと伝えます。(「しょうどしま」と呼ぶようになったのは、鎌倉中期頃)
本来は神話と原始信仰の島だったのでしょうが、豊臣秀吉はキリシタン大名の小西行長に小豆島を与えます。彼は神学校にいたグレゴリス・セスペデスを島に呼び寄せて布教させたため、ひと月のうちに1400人以上の信者ができ、神仏は残らず破壊されたそうです。
ところが1587年には、秀吉が禁教令を出して宣教師らは日本から追放。さらに島原の乱後の天草に強制移住させられるなど、数奇な信仰の歴史をこの島は負っています。

「古事記」以前のこの島を想像するならば、安芸の宮島などのような神々の島だったと思います。
そのはるかな記憶のひとつが、隼山大師堂の岩壁・岩盤信仰だったのではないかと思う次第です。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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