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伊勢神宮に封印された巨大石室

これは飛鳥の石舞台古墳です。


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すごい大きさですね。
建造方法の絵もありました。


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大変な作業だったでしょうね。かなりの財力と権力が必要です。

被葬者は推古天皇34年(626年)に死んだ蘇我馬子であったとする説が有力です。なるほど、それぐらいの有力者でないと、この規模は無理でしょう。
封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説もあります。

 ☆

では、この巨大な石室はどうでしょう。


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驚くべきことに、この巨大石室を持つ古墳は標高116メートルの山頂に築造され、しかもその時期は蘇我馬子の626年より数十年~百年近く古いというのです。
いったいどんな権力者が作ったのかと興味が湧きますが、はっきりとは分かっていません。

じつはこの古墳、伊勢神宮(外宮)の神域、高倉山の山頂に位置する高倉山古墳です。
埋葬施設は巨大な両袖式の横穴式石室1基で、全長で全国第6位、玄室の長さと面積では第2位です。
石室は時代により神宝庫、霊窟といわれ、岩戸信仰も重なって江戸時代には参詣者が多く訪れました。

ただし現在は立入禁止の区域として封印されており、見る事はできません。

  ☆
 
史実では、伊勢神宮が整備されたのは天武天皇や持統天皇のころとされます。それ以前は、伊勢土着のローカルな太陽信仰があった場所でした。
そんな時代に、いったい誰がこんな巨大な石室を作ったのでしょう。そして、石棺も見当たらない石室は、本当に古墳だったのでしょうか。
調査では金環・玉類・馬具・大刀・刀子・鏃・須恵器・土師器などが検出されていますが、墳丘表面で葺石・埴輪は認められていません。

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(『斎宮と古代国家 (斎宮歴史博物館)』 より)

さらに気になるのは、開口部が冬至の夕日の方向である事です。
古墳の築造様式を使った、天の岩戸神話にかかわる人工的な祭祀洞窟だったのではないかと妄想します。
鎮魂祭や新嘗祭などが高度に宮廷儀式化される前、高倉山古墳の前において、天岩戸神話が儀式として再現されていた可能性があると思うのですが・・・


類例は、京都市山科区日ノ岡の日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)。


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社殿が神明造りであること、内宮(ないく)・外宮(げく)が奉斎されていることなど、伊勢神宮との共通点も多く、日向大神宮は「京の伊勢」とも呼ばれています。

そしてこれが天の岩戸


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明らかに古墳ではなく、背後には出口もあります。

そもそも天の岩戸神話は、ヤマト王権の独占物ではありません。ひょっとすると、天火明命や瀬織津姫など、ヤマト王権公認ではない太陽信仰の遺跡かもしれないのです。

そしてどうしても気になる事・・・

以前の記事でも触れましたが、高倉山古墳の石室の一部が、外宮神域の小川にかかる橋(亀石)として再利用されているらしいことです。


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人びとが踏んで歩くという、大変失礼なことになっています。聖域にあったものなら、こんなことはあり得ないと思います。
思い出すのは、石舞台古墳の封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説・・・。

現在の伊勢神宮ホームーページには、高倉山古墳についても、橋(亀石)の由来についても全くふれられていません。
はたして、高倉山古墳の太陽信仰は、ヤマト王権にとって都合の悪い存在だったのでしょうか。


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(伊勢市のホームページより)

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コメント

No title

こんにちは。
このサイズ、形状の側壁材を逆U字型に持ち送り積するのは技術的に難しいと想像します。おそらく、築造は内部に梁を組むか、小石を充填した上で徐々に積み上げ、天井石を載せたのちに、充填した支持物を除去したものと思います。
西日本では6世紀になると石棺埋葬が主流ですが、東日本、関東では7世紀に入っても石棺埋葬は少ないですね。この古墳も羨道部は狭いと聞くので、おそらく石棺は設置されなかったのでしょう。この地方は畿内に近いが、墓制文化的には東海地方文化圏なのかも知れません。

巨大な石室

いつも楽しい記事をありがとうございます。
吉備や難波、大和には、大きな古墳が多いのですが、意外に玄室は小さいような。石舞台の玄室は、長さ約7.7メートル、羨道は約11メートルで、例外的に大きいんですよね。
被葬者不明な古墳が、忌部の里にもあって、美馬市にある段の塚です。長さは13mくらいで、天井は高く、中に入って撮影しようとフラッシュを焚いても、全貌が写りません。石舞台ほど派手ではないですが、駐車場は無料、入場も無料。来訪者も皆無ですから、自分の世界に浸れてお得です。
多分 本邦にはこの手の大きな石室の古墳が少なくないのですが、何せ誰が祀られているか判らない。共通項や築造の理由を知りたいものです。

Re: No title

形名 様

ご指摘の通り、ウィキには
「長大な玄室・短小な羨道・断面弧状の玄室天井・両袖の退化などの点には伊勢湾対岸の西三河地方との共通性が認められる」
とあります。渡会氏が関係していたのは当然でしょうが、伊勢湾沿岸の海人系あるいは尾張氏にゆかりのある遺跡だと思います。

Re: 巨大な石室

鯨様

高倉山古墳と阿波の古墳に共通性があれば面白いですね。
千葉県館山市の布良崎神社や駒ケ崎神に行ったら、忌部氏の海洋性について書きたいと思うのですが、なかなか行けそうにありません。いずれにしろ、不比等と持統天皇が、阿波の聖地性と阿波の神話をぶっ潰した張本人だと思っています。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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