コメント
No title
こんにちは。
このサイズ、形状の側壁材を逆U字型に持ち送り積するのは技術的に難しいと想像します。おそらく、築造は内部に梁を組むか、小石を充填した上で徐々に積み上げ、天井石を載せたのちに、充填した支持物を除去したものと思います。
西日本では6世紀になると石棺埋葬が主流ですが、東日本、関東では7世紀に入っても石棺埋葬は少ないですね。この古墳も羨道部は狭いと聞くので、おそらく石棺は設置されなかったのでしょう。この地方は畿内に近いが、墓制文化的には東海地方文化圏なのかも知れません。
このサイズ、形状の側壁材を逆U字型に持ち送り積するのは技術的に難しいと想像します。おそらく、築造は内部に梁を組むか、小石を充填した上で徐々に積み上げ、天井石を載せたのちに、充填した支持物を除去したものと思います。
西日本では6世紀になると石棺埋葬が主流ですが、東日本、関東では7世紀に入っても石棺埋葬は少ないですね。この古墳も羨道部は狭いと聞くので、おそらく石棺は設置されなかったのでしょう。この地方は畿内に近いが、墓制文化的には東海地方文化圏なのかも知れません。
巨大な石室
いつも楽しい記事をありがとうございます。
吉備や難波、大和には、大きな古墳が多いのですが、意外に玄室は小さいような。石舞台の玄室は、長さ約7.7メートル、羨道は約11メートルで、例外的に大きいんですよね。
被葬者不明な古墳が、忌部の里にもあって、美馬市にある段の塚です。長さは13mくらいで、天井は高く、中に入って撮影しようとフラッシュを焚いても、全貌が写りません。石舞台ほど派手ではないですが、駐車場は無料、入場も無料。来訪者も皆無ですから、自分の世界に浸れてお得です。
多分 本邦にはこの手の大きな石室の古墳が少なくないのですが、何せ誰が祀られているか判らない。共通項や築造の理由を知りたいものです。
吉備や難波、大和には、大きな古墳が多いのですが、意外に玄室は小さいような。石舞台の玄室は、長さ約7.7メートル、羨道は約11メートルで、例外的に大きいんですよね。
被葬者不明な古墳が、忌部の里にもあって、美馬市にある段の塚です。長さは13mくらいで、天井は高く、中に入って撮影しようとフラッシュを焚いても、全貌が写りません。石舞台ほど派手ではないですが、駐車場は無料、入場も無料。来訪者も皆無ですから、自分の世界に浸れてお得です。
多分 本邦にはこの手の大きな石室の古墳が少なくないのですが、何せ誰が祀られているか判らない。共通項や築造の理由を知りたいものです。
Re: No title
形名 様
ご指摘の通り、ウィキには
「長大な玄室・短小な羨道・断面弧状の玄室天井・両袖の退化などの点には伊勢湾対岸の西三河地方との共通性が認められる」
とあります。渡会氏が関係していたのは当然でしょうが、伊勢湾沿岸の海人系あるいは尾張氏にゆかりのある遺跡だと思います。
ご指摘の通り、ウィキには
「長大な玄室・短小な羨道・断面弧状の玄室天井・両袖の退化などの点には伊勢湾対岸の西三河地方との共通性が認められる」
とあります。渡会氏が関係していたのは当然でしょうが、伊勢湾沿岸の海人系あるいは尾張氏にゆかりのある遺跡だと思います。
Re: 巨大な石室
鯨様
高倉山古墳と阿波の古墳に共通性があれば面白いですね。
千葉県館山市の布良崎神社や駒ケ崎神に行ったら、忌部氏の海洋性について書きたいと思うのですが、なかなか行けそうにありません。いずれにしろ、不比等と持統天皇が、阿波の聖地性と阿波の神話をぶっ潰した張本人だと思っています。
高倉山古墳と阿波の古墳に共通性があれば面白いですね。
千葉県館山市の布良崎神社や駒ケ崎神に行ったら、忌部氏の海洋性について書きたいと思うのですが、なかなか行けそうにありません。いずれにしろ、不比等と持統天皇が、阿波の聖地性と阿波の神話をぶっ潰した張本人だと思っています。