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楯築遺跡の謎めいた神石と古代ケルト文化

弥生時代末期における日本最大規模の古墳である楯築墳丘墓


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この上には、大正時代の初めまで楯築神社がありました。
ところが信じられないことに、この境内には団地の巨大な給水塔が建つなど、今は神社の雰囲気はありません。
信じられない文化財行政です。


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そして破壊を免れた、ご神域の中心部分に取り残されて存在するのは、国内に例のない巨石文化です。


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いちばんの問題は、ストーンサークル群の中央にある、この岩組みです。


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ここには、かつてご神体の神石(亀石)が入っていました。
昭和の昔、初めてここへ来たときに、暗い祠の中に妙な岩が入っていた記憶があります。
それが、現在は収納庫に大切に保管されている、この岩でした。


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施帯文石と呼ばれるこの岩は、≪文化庁・国指定文化財データベース≫にこう記されています。

本遺品は、約三五〇キログラムの石灰岩系の岩石に人面を刻み、体部全体に帯状の紐を旋回させ束縛したような文様を精緻に彫成したものである。この文様は弥生時代の祭祀儀式に用いられた大形器台と同種で、祭祀、呪術的な様相を漂わせた、他に例のない遺品である。弥生時代社会をみるうえに欠かせない重要な遺品であるとともに、原始工芸の一水準をも示している。


あるいは、≪東京国立博物館ホームページ≫にはこう書かれていました。

この旋帯文石は、瀬戸内地方最大の楯築墳丘墓(岡山県倉敷市:全長約80m)から出土したとみられ、被葬者やリーダーに率いられていた集団の祖霊の姿を表現したという見解もあります。
古墳出現前夜の列島社会の激動期に、亡き首長の葬送儀礼において重要な役割を果たした“存在”を表現した石造物かもしれません。


重要な役割を果たした“存在”を表現した石造物』とは、端的でない何とも不思議な表現ですね。
神や祖霊という事なのでしょう。

いずれにしろ、昨日記事にした、楯築遺跡から北西 700 mに位置する鯉喰神社境内で表面採取された施帯文石の破片があるだけで、他に類例がない神秘の岩なのです。
ましてや地元の伝承では、吉備津彦命が温羅との戦いに使った「空飛ぶ乗り物」とも伝えられており、この岩の意味はなにか、結局は今もって謎に包まれています。

・・・となると、何度も言いますが、国内に類例がないなら、海外に探すしかありません。
これについて、昨日とは別の資料を出したいと思います。

これは、ご神体の施帯文石の全体像です。

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妄想レベルかもしれませんが、ケルトあるいはそれ以前の文様に似たものがあります。
これは、アイルランドのニューグレンジに見られる文様です。


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(ウィキペディアより)

ここは冬至の朝、日の出の太陽光が約17メートルの長い通路に射し込み、部屋の床を照らす事で知られます。
楯築墳丘墓に近い吉備津彦神社が「夏至の社」であるのと同類と言えます。

 ☆

ところが、私にとってさらに大きな謎がまだあります。
ご神体の岩を祀っていた、岩屋状の岩組みをどう考えるのか、という謎です。


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墳丘の葺石の石板を使って後世に造られた可能性がありますが、詳しいことは分かっていないようです。
天然の岩屋が古くから神聖視されてきたことは、このブログで何度も記事にしてきました。
その中には、ある程度人工的な部分が見られる巨大な岩屋もあります。


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(白石島 開龍寺の奥の院)


しかし、純然たる人工丘に岩屋を構築したような場所は、私は見たことがありません。
原始神道・自然神道の時代でも、聖なる山や丘の上に、自然石を設置して奥津磐座とすることはあっても、わざわざ立石の前に岩屋を構築するなど聞いたことがないのです。

いったいこれらの文化がどこからきて、そしてなぜ消えたのか、あまりに謎は深いようです。
古代日本は意外にグローバルだったという立場に立てば、出雲の潜戸でも述べたように、やはりケルトなど古い信仰にも、その起源を求めることが必要ではないかと思います。


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コメント

古代日本は意外にグローバルだった

>古代日本は意外にグローバルだったという立場に立てば、出雲の潜戸でも述べたように、やはりケルトなど古い信仰にも、その起源を求めることが必要ではないかと思います。

〇興味深い記事でした。
 小生の想像ですが、やはり海洋民族マレー系の影響がある感じです。
 同様な石造文化は環太平洋に広がっている感じです。
 これらはモアイ像や南米の石造文化とリンクしている感じがします。

渦巻き

私が小学生の頃なぜか∞渦巻きの箸置きを作りました。
教えられなくても作ってしまう波動の基本?
なんてことはないですね。

その箸置きは捨ててしまいました。

大岩に鏡を置いて日光を受けて他の鏡に光を送るリレーをした
という人がいますが、そういうことが可能なのでしょうか。
ジグザグに送らないとできそうにない気がしますが。
私の想像力が足りないのかも。

Re: 古代日本は意外にグローバルだった

レインボー様

> これらはモアイ像や南米の石造文化とリンクしている感じがします。

具体的な石造文化ではありませんが、基本的な場面で日本の巨石・磐座信仰に海洋民族マレー系の影響があるのは確かだと思います。
次の記事で引用させていただきますので、ご容赦ください。

Re: 鏡

久遠田 様

大岩に鏡を置いて日光を受けて他の鏡に光を送るリレーですか・・・
不可能なことはないと思いますが、太陽の位置は刻々と変化するので、一瞬だけの現象で終わってしまうような気がします。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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