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鯉喰神社・吉備文化とケルト文化の類似性

岡山県倉敷市矢部に、鯉喰神社が鎮座しています。


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本殿まで少しずつ丘になっていて、奥の神域を道路から見ると、かなり高度差を感じます。


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実は、鯉喰神社は古代の墳丘墓の上に立地しているのです。
(ちなみに、ここに葬られているのは卑弥呼ではないかという説もあるとか)


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かつてこの地域で、温羅(うら)が村人達を苦しめていたそうです。ヤマトから派遣された吉備津彦命は、そんな温羅と戦いますが。中々勝負がつきません。
すると天より声が聞こえ、命がそれに従うと温羅は負けて自分の血で染まった川へ鯉となって逃れました。吉備津彦命はすぐに鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食したとされます。
それを祭るため村人達が建立したのがこの社であり、温羅を捕えた後に夜目山主命が鯉を料理して命をもてなしたという伝承もあるとか。
そして御神体は包丁と俎板とも言われているそうです。

勝てば官軍史観というか、吉備津彦命の方が侵略者であるなら、包丁と俎板で地元の王が食べられるというのは、伝説上であれ残酷な話です。
いずれにしろ、古代にここで吉備の領有権をめぐる激しい戦争があったのは確実のようですね。

丘上に鯉喰神社が鎮座するこの古墳は、楯築弥生墳丘墓から北西約700mの細長い丘陵先端に位置しています。東西約40m、南北約32mの長方形で、発掘調査は未実施ながら、土器、特殊器台、施帯文石、石壺などが採取されていました。
問題は、施帯文石です。楯築弥生墳丘墓と鯉喰神社の二か所にしかない、極めて特殊な文様なのです。

これは、楯築弥生墳丘墓にあった施帯文石です。(亀石)


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まったく意味は分かっていません。古代史における第一級の謎のひとつだと思います。

弥生時代末期におけるわが国最大の楯築墳丘墓には、ヒスイの勾玉と瑪瑙の管玉や 27 個の碧玉からなる首飾り、長さ 47㎝
の鉄剣、数百の小さなガラスや管玉製首飾りの他、30㎏を越える目の覚めるような美しい水銀朱が棺に敷き詰められていました。驚くべき副葬品です。

そして、類例のない、墳丘上の立石群。


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あり得ない様相です。こんなものは日本全国どこにもありません。
確実にいえる事は、楯築墳丘墓に日本の常識を適用していては、その正体が分からないという事でしょう。
そして施帯文石が発見された鯉喰神社の古墳もまた、その謎めいた文化と共通性があるのです。

  ☆

『施帯文石(亀石)展開図作成と考察』という論文の中で、臼井洋輔氏は、
海外との関連性を調べることも、この謎に迫る1つの方法であることは云うを待たない。しかし今のところその密接な関係も私はまだ掴んでいない。しいて直孤文として若干の関連性があると云えば、ボルネオのコナキタバルで見た割竹形木棺の縁に刻まれたものや揚子江流域出土の漆器くらいである。

と書かれています。

ただ、どうせ海外と比較するなら、古いケルト文化と比較すべきと私は以前から考えています。

ひとつは日本に類例のない、先ほどの巨石文化。


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下の本には、「ドルイド教徒が、ペルシアに造ったサークルおよびメンヒル」と書かれた挿絵があります。


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よく似ている巨石文化だと思います。


次は、楯築遺跡から出土した、先ほどの神石(亀石)の全体像。


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同じ本に載る文様。


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さらには、吉備津彦命と温羅が戦う伝説のモチーフは、ケルト神話にも見られます。

ウェールズ人によるケルト伝説で「水底の国」に住んでいたグウィオン・バックという英雄とケーリッドウェンという女神の「呪的逃走」伝説では、

「英雄グウィオン・バック」→「兎」→「魚」→「小鳥」
「女神ケーリッドウェン」 →「犬」→「川獺」→「鷹」

と変身します。

これに対して吉備津彦の伝説では、

「温羅」  →「雉」→「鯉」
「吉備津彦」→「鷹」→「鵜」と変身します。


さらに温羅が片目を射抜かれる話と、「大釜の番人モルダ」が女神に撲られて片眼が飛び出してしまう話も似ていて、どちらの話にも豊穣神話にからむ「大釜」が登場します。

つまり、伝説の構造もまた、ケルトに似ているのです。これらはすべて、単なる偶然でしょうか。


平城京には、ペルシア人の役人がいたことが確認されています。
古代から日本はグローバルな国家でした。日本国内の文化だけから謎に迫るだけでは、もはや真実にはたどり着けないのかもしれません。

そしてそのカギは、未発掘である鯉喰神社が守る古墳の中にあるような気がします。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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