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美々津・神武出港伝説

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日向灘に面した宮崎県日向市美々津(みみつ)。ここには、第一代神武天皇の出港伝説があります。

神武天皇は45歳のとき、兄の五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を決意し、ここから兵をまとめて出港したのです。そして北九州から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入り、紀州に回って大和に入りました。大和を平定した後には畝傍山の麓、橿原宮(かしはら宮)で即位し、初代天皇となりました。

戦前戦中なら、おそらく日本国民誰もが知っている、あるいは知っていなければならない重要な神話だったのでしょうね

出港の時、神武天皇の船軍は、沖の七ツ礁とーツ礁の間を通っていったそうです。この船軍は再び国に帰ることはなかったので、その後この岩礁の間を船で通る者はいないといわれています。

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ここまでが七ツ礁です。
そして下がーツ礁です。

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何やら神秘的な様相です。

さらにこの近く、耳川に面した立磐神社は、神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とするお社です。ここには「神武天皇御腰懸磐」があり、神武天皇が出航の際にこの岩に腰掛け指揮したとされ、ウィキペディアでは社名の「立磐」もこれに由来するといいます。

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ウィキペディアには悪いのですが、立磐神社の「立磐」は、明らかに本殿背後の立石群でしょう。たしかに腰かけ石をご神体とする情報もあるのですが、日本全国あまねく存在する「○○の腰かけ岩」は、もはや伝説伝承の記念物的な扱いを受けているものがほとんどです。私の愛用する『神話伝説辞典』には、

武将や高僧、あるいは氏神祭神などが腰をかけたという伝説をもつ岩。

とあり、全国のさまざまな例をしるした後に

本来は祭りの際に神聖な祭壇として使われた石で、ふだんでもみだりに腰かけたり踏み上がることを禁じられていたのだが、その習慣や意義が忘れられてから、貴人や武将の腰かけた石だといい始めたものである。

と結んでいます。「腰かけ石」と言われた時点ですでに脇役なのですが、祭壇として認識されていた時代は、一体何を祀る祭壇だったのでしょうか。それが先に述べた、本殿背後の立石なのです。

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本殿の背後にある巨石は、本来のご神体(磐座)だったというのは一般的なセオリーです。本殿建設前には、間違いなくこの立磐を信仰の対象としていたはずです。


ただし原点に戻ると、記紀神話上では、美々津港から出たというような、具体的地名は記されていません。またそもそも神武天皇は、架空の人物と見るのが一般的です。歴史上にモデル的な人物がひとりまたは複数いたという可能性までは否定できませんが、個々の人物や地名、年代など、詳しい伝説内容は後世のものでしょう。

美々津は、古くから海の交易の拠点として歴史を刻み、町の背後にある遺跡からは、畿内、瀬戸内様式の弥生土器が出土しているそうです。このことは、美々津が相当古い時代から、各地と交流があったということを示しています。

沖の七ツ礁とーツ礁も、海人系の島嶼信仰が古くからあり、神の去来する聖地だったのでしょう。それがいつしか新たな神武伝説と習合したものと私は考えています。


海を見ていて、ふと振り返りました。美々津の大地に、いつしか夕方の弱い太陽が射していました。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。