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伊勢内宮の五十鈴川と竹野川の鬼伝説に秘められた太陽信仰

これは、伊勢内宮の五十鈴川。


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言うまでもなく、五十鈴川は身を清める大切な川です。もちろん参拝者だけではありません。

遷宮の儀では、ご神体を新たな正殿に移す遷御の儀に先立ち、川原大祓(かわらおおはらい)が五十鈴川で行われます。
これは、ご神体を収める仮御樋代(かりみひしろ)や新調した装束・神宝などのほか、遷御に参加する祭主や神職がおはらいを受けるという重要な儀式です。

その五十鈴川にかかる宇治橋では、冬至の朝日が正面からまっすぐ射すことで有名です。


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この光景を一目見ようと、早朝から数百人のカメラマンや参拝者が詰めかけるそうです。
中日新聞2014年12月23日付朝刊には、
「冬至の神秘 ありがたや 伊勢神宮・宇治橋に朝日」
という記事が載ったそうですから、かなり「ありがたい」信仰現象だという事が判ります。

ちなみに夏至の朝日が昇る二見の夫婦岩にも、夏至のまだ暗いうちから人々がつめかけ、押すな押すなの三密騒ぎ?なのだと
か。


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(中日新聞 2011年6月30日伊勢志摩版より)


これらは無意識にしろ、古代から続く日本人の伝統的太陽信仰なのでしょうね。

  ☆

さて、前回記事にした京都府京丹後市の竹野神社(たかのじんじゃ)。


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第9代開化天皇の妃となった「竹野媛」が晩年帰郷した際に「天照皇大神」を祀って創建したと伝わり、拝殿には天皇家ゆかりを意味する「菊の御紋(菊花紋)」と皇室専用の家紋「桐花紋」が彫られています。
かつては伊勢神宮と密接なつながりがあったのでしょう。

その竹野神社へ海岸側から参拝するには、御旅所の手前で竹野川を渡り、長い参道を歩いて鳥居を潜ることになります。
このルートがほぼ冬至の日の出の角度でした。

下の地図で、オレンジ色のポイントが御旅所です。




写真地図を拡大すると、少なくとも現在は直近の竹野川に中の島(砂州)があり、流れが緩やかで比較的渡りやすい地形だという事が判ります。
橋はありませんが、伊勢内宮の五十鈴川でも、1190年代に書かれた『皇太神宮年中行事』に書かれたものが最古の橋の記録であり、本来は川に石を並べて渡っていたようです。

いずれにしろ、冬至の朝日の方向に向かって川を渡るという祭祀構造は、伊勢神宮でも竹野神社でも共通しています。
天照大神が岩戸に隠れたという「天の岩戸神話」の本質が、神話学的には冬至祭儀を象徴していると言われる事は以前に述べました。
さらに大嘗祭が代々冬至のころに行われていたことの意味を考慮すれば、冬至の朝日に向かって身を清めながら太陽神の神域に入る事の重要性は明らかだと思います。

  ☆

ところで、上の写真地図で黄色ポイントの立岩付近を拡大すると、奇妙なことがわかります。
竹野川の水を、まるで河口で堰き止めるような位置に、立岩があるのです。

このような「奇しき景観」には、必ずと言っていいほど何らかの祭祀が伴います。


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ところがこの岩には、鬼を閉じ込めたという不気味な伝承がありました。

もし外見に惑わされないで鬼を考えれば、その醜とは体制側が付与し強制した烙印にすぎないことがわかる・・・・

これは以前引用した、谷川健一さんの言葉です。
土着政権のリーダーが侵略者に滅ぼされた場合、そのリーダーが「鬼」の烙印をうけるというのはよくある話でしょう。

ここで語られる「麻呂子親王の鬼退治伝説」です。

推古天皇のころ、丹後の大江山では、英胡・軽足・土熊(土車)の3匹の鬼が首領となり、人々を苦しめていました。朝廷は用明天皇第三皇子(聖徳太子の異母弟)の麻呂子親王を大将軍に任命し、鬼の討伐に向かわせました。
その道中、戦勝祈願のため大社に立ち寄ると、伊勢の神の化身である老人がどこからともなく現れて、「この犬が道案内をいたします」と白い犬を差し出しました。
やがて鬼との合戦が始まりますが、『齋宮大明神縁起絵巻』には鬼に斬りかかる親王の姿や、鬼に噛みつく犬の姿が描かれています。結局、英胡と軽足は朝廷軍に討ち取られ、土熊は現在の竹野で生け捕りにされて立岩に封じ込められたというのです。
そして今でも風が強く、波の高い夜などは鬼たちの号泣する声が聞こえるといわれています。


犬が活躍するなど、吉備の桃太郎伝説と似ていますね。「勝てば官軍」史観だと思います。

ところで伊勢内宮の五十鈴川は、1498年(明応7年)の明応地震までは二見浦の夫婦岩の東側で伊勢湾へ注いでいました。(現在の五十鈴川派川)

五十鈴川の宇治橋に上る冬至の太陽が重要な伊勢内宮、そしてその下流の河口付近には、夏至の朝日で知られる夫婦岩。


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セットで考えるべき、リアルな古代太陽信仰が浮かび上がります。


一方、私が五十鈴川と同じ機能だと推理する竹野川では、河口に立岩があるものの、そこでは無残な鬼の封じ込めがありました。

夫婦岩は猿田彦を祭りますが、「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神だったとする有力な説があります。
そのパターンで言えば、立岩も竹野神社に天照大神が祭られる以前の古い太陽神の磐座だったかもしれません。

ただし、猿田彦はヤマト王権に協力したのに対して、英胡・軽足・土熊(土車)の3匹の鬼(土着のリーダー)たちは恭順を潔しとせず、最後まで抵抗したのではないでしょうか。

ちなみに水無月神社と行者が岩から見る夏至の朝日は、この辺りから昇るようです。


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伊勢外宮境内から登る高倉山古墳と、竹野神社境内から登る神明山古墳の類似性も気になるところです。
例えば、高倉山古墳へは杯状穴のある橋(亀石)を渡ります。


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同じように竹野神社から神明山古墳へは、こんな橋を渡るのですが、やはり杯状穴がありました。


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それほど古くはなさそうですが、隠された祭祀的意味があるのかもしれません。

いずれにしろ、丹後の強大な王国とヤマト王権との関係性を考えるなら、伊勢と竹野にかなりの類似性があって不思議ではないと思います。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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