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天照大神はやはり男神なのか・伊勢斎宮の謎に迫る

斎宮といえば、崇神天皇が皇女豊鍬入姫命に命じて天照大神を大和の笠縫邑に祭らせたこと、さらに垂仁天皇の時代には、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行し、伊勢に辿りついて天照大神を祭ったことが思い浮かびます。


ロマンと謎に満ちた元伊勢。


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そして倭姫。


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この立派な建物は、三重県多気郡明和町竹川の斎宮歴史博物館です。


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単なるローカル資料館ではなく、本格的な研究機関でもあるようです。

倭姫の巡行や元伊勢について、さぞかし詳しく展示されているのでしょうね。
そう思って入館料を払い、広く近代的な館内に入ると、もうすぐ斎王の映画も始まるとのこと。
きっと倭姫が主人公なのだろうと、五分前には映写室に入り、正面の座席に座ります。

そして映画が始まりました。斎王の登場です。


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しかし・・・・時代は平安時代。京の都から斎宮へと向かう様子がスクリーンに流れます。

「あれ、崇神・垂仁の時代の斎王とかは出てこないのかな? 倭姫は?」

その予感通り、倭姫はまったく登場しませんでした。

その後、館内を見て回りましたが、やはり倭姫の姿はありません。
それはなぜなのか?

最新の研究成果が記された、今年10月3日発行の冊子(64ページ)を読んで、その理由がわかりました。


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倭姫どころか、用明~推古朝の酢香手姫にいたるまで
「伝承的な域をでないものである」
と書かれているのです。

推古天皇と言えば、第33代天皇です。そのころの斎王でさえ単なる伝承に過ぎないのなら、第10代天皇とされる崇神天皇や次の垂仁天皇のころの斎王伝説など、まったく歴史的事実とは見なされないのでしょう。

なるほど、神話伝承と厳密な歴史学とはかなり違っているのですね。


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この冊子の
『第3章 斎王制度の整備  奈良時代』
から、史実としての斎王がでてきます。


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ではいったい、いつ頃からきちんとした斎王の歴史が始まるのでしょう?

その時代とは、なんと第42代文武天皇(在位:697年8月22日~)の時代からなのです。
つまり、史実としての斎王は、このころまでしか遡れないという事なのですね。

いとしの倭姫様は、単なる歴史ロマンに過ぎなかったとは・・・・ショックでした((+_+))

さらに驚いたのは、斎王宮は単なる神秘の建物ではなく、もはや計画的な都城だったことです。


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なんだか、想像してたイメージとずいぶん違うなと思いました。

  ☆

館内を見学すると、新たな発掘調査の結果を含めて、斎王制度について詳しく解説がありました。


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これは、斎王が伊勢神宮でどんな祭祀をしていたかというホログラムディスプレイ。


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斎王は正殿の内部には入らず、太玉串を捧げるだけなのだそうです。
天照大神が岩戸隠れした際、玉や鏡などをつけた五百津真賢木(いほつのまさかき)をフトダマが捧げ持ったとの記述が、玉串の由来とされます。
なるほど、どこにでもある玉串ではなく、太陽神の再生を願う由緒正しい儀式なのですね。

しかし私は思いました。

玉串を捧げるだけなら、わざわざ斎王が苦労してここまで群行して、長年住み続ける意味が薄い。
しかも、伊勢神宮から変に遠いところに斎宮が位置するのはなぜ?

そもそも儀式のときだけ皇族を派遣すればいいはず。
しかもフトダマが男神だったように、男性皇族でもよかったはず。

それにもかかわらず、江戸時代の大奥のようなシステムには、何か別の隠れた理由があったのではないか・・・。


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  ☆


ところが、とんでもない事が上の冊子に書かれていました。

〔論考2〕文献から見た飛鳥・奈良時代の伊勢の神と斎宮
の46ページに、こう書かれていたのです。

『隋書倭国伝』には、
開皇20年(600)に、倭王「阿毎・多利思比孤」の使者が隋の文帝に問われ、「倭王は天を以て兄とし、日を以て弟となす。天が明ける前に政務をとり、日が出ると弟に譲る」と答えたという一節があり、文帝は「大いに義理なし」として改めさせたとある。
(中略)
その「日神」が大王の弟だったというのは、天武天皇以降の、王権の守護神に斎王を奉るあり方とはかなり異なる意識である。用明は自分の娘を「弟」に送っていたのである。
(中略)
極端に言えば、6世紀のプレ斎王たちは、日神に姪が嫁ぐ、神妻と認識されていたのである。


つまり、日本で質・量ともに最も最先端の斎王研究をしておられる斎宮歴史博物館の結論が、

① 用明天皇の時代、太陽神は男性だった。
② 斎王とは、男性太陽神の妻という意味だった。


というのですから、なかなか衝撃的ですね(>_<)

傍証として、王女と叔父が父大王の後押しによって結婚するというパターンが、天智天皇・天武天皇を含むこの時代の大王級王族の婚姻パターンだったと記されます。なかなかの説得力です。

つまり、第31代用明天皇のころ、太陽神は男性だったが、その後女性神に変更する必要に迫られ、神話も祭神も根こそぎ変えられた、というわけでしょうか。

これが史実であるなら、当時の日本列島には二つの王権があったとする「九州王朝説」でも採らないかぎり、天智朝以前の神話や歴史は、私たちの信じていたものと大幅に違っていることになるのです。


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発掘調査からは、もともと伊勢神宮は斎王宮付近にあったのでは、とも考えられるそうです。


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はたして、斎王の真実とは?



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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