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『石くど』と『火の雨伝説』の謎

古墳の石室は、何度か記事にしています。

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今回の記事は、少し趣が異なります。
兵庫県丹波篠山市に、「石くど」と呼ばれている遺構がありました。


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これは6世紀後半に築造された、横穴式石室をもつ古墳で、大きな円墳であったと推定されています。
いつしか封土(盛り上げた土)がなくなって、石郭の巨石が露出したもので、かまどの「くど」に似ているところからその名があるそうです。


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石室は無袖型式で、外側の高さ約3メートル、長さ約4メートル。側壁東側は5枚の側石が残り、三段に積み重ねています。奥壁は2枚で、上には巨大な天井石が2枚架け渡してありました。
ところが、石室内から遺物が出たという記録については何も残っていません。昭和52年に行われた範囲確認調査によっても、特に出土品はなく、周濠をもっていないことが判明しました。


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遺物や出土品がなく、周濠もない・・・ほんとうに古墳だったのでしょうか。

ここには不思議な伝説がありました。火の雨が降ったときの隠れ場だというのです。

火の雨・・・それはいったい何を意味しているのでしょうか?

火山の噴火?
山火事?
太古の核戦争や宇宙人の襲来??

  ☆

「火の雨」の伝説は、いろいろ調べてみると各地に存在することがわかりました。


たとえば高野山の押上石
激しい火の雨が弘法大師の母を襲った時、石を押上げて母をかくまったという大師の手形が残っているそうです。


長野県佐久市桑原には、その名も「火の雨塚古墳」が残っていました。直径10m、高さ3.5mで横穴式石室を持ちます。
『佐久口碑伝説集』によれば、今からおよそ400年前、浅間山が大噴火をしてこの辺りまで溶岩や熱灰が落下し、まるで火の雨がふるような有様でした。土地の人達は皆あわてて洞穴を造って、その中に逃げ込んだのがこれだそうです。

また別の説では、武烈天皇が大変に横暴な振舞をしたため、天の神様がこれを見て怒り、火の雨を降らしたとも伝えられます。


同県下諏訪町東町中の「ジジ穴古墳」と「ババ穴古墳」にも、火の雨伝説がありました。
大昔に空から火の雨が降った時に、ジジ穴逃げ込んだ男とババ穴に逃げ込んだ女だけが助かり、今の人々は全員その人達の子孫であるという伝説です。
どこかアダムとイブ的な創世神話の記憶を感じます。


また岐阜県加茂郡坂祝町酒倉には、「火塚古墳」がありました。
昔々、火の雨が降った時に石室内に避難したという言い伝えに由来するのだとか。
石室は墳丘の南側に開口する両袖型の横穴式石室で全長約13m、墳形は1段目が36m×42m、2段目が径約23mの上円下方墳とされています。(7世紀前半の築造。町指定史跡)。


大阪府八尾市の高安千塚古墳群には、「火の雨塚」という伝説が残っています。
火の雨を避けるために造られたのが、横穴式石室の古墳だとされるのてす。


静岡県駿東郡長泉町下土狩原分には、「火ノ雨塚」あるいは「山の神古墳」と呼ばれる直径約17mの円墳があるそうです。
ここからは人骨のほか、家形石棺片・銀象嵌の鍔・円頭柄頭・金銅装大刀・馬具・土師器・須恵器など多くの副葬品が出土したとか。


山梨県韮崎市藤井町北下條にも、古墳時代後期(1450~1500年前)の「火雨塚古墳」がありました。
ここに残る言い伝えでは、かつて富士山が大爆発したときに、爆発によって降り注ぐ「火の雨」を避けるために造られた石室のひとつであったというものです。
ただし、ここは富士山から相当遠く、火山弾などがここまで飛んでくることはなかったはずだとか。


  ☆


というわけで、火の雨の伝説を伴う古墳はたくさんありました。
富士山や浅間山が見える場所なら、噴火の記憶が古墳の石室と後世結びついた可能性があります。
しかし、丹波篠山もそうですが、和歌山の高野山や大阪の八尾で大規模な噴火があったとは考えにくいと思います。


では、火の雨が降るという伝説は、いったい何を物語っているのでしょうか?
ひょっとすると、アダムとイブ的な太古の基層神話の名残?

なかなかミステリアスな伝説でした(^_-)-☆


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コメント

No title

こんにちわ。

遺物もなく、周溝も無いというのは気になりますね。

火の雨伝説、後世の人々が、まさかお墓でこんなものを造るとは思わなかったのかもしれませんね。

そう言えば、愛知県豊橋市にも馬越長火塚古墳というのがありますが、これもその伝説なのでしょうか。

調べてみると各地にありそうですね。

Re: No title

kame-naoki様

馬越長火塚古墳、調べて見ました。6世紀末葉に築造されたとみられる東三河最大級の古墳のようですね。追祭祀に大量の須恵器群が使われたようで、興味深いです。
残念ながら、火塚という言葉の由来は分かりませんでした。元々は火の雨伝説があったのかもしれませんね(^^♪
貴重な情報ありがとうございました。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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