FC2ブログ

記事一覧

出雲と諏訪の神社で見た不思議なモノ

前回、荒神谷遺跡の上にある、「荒神神籬」を紹介しました。


DSCN6162_convert_20200712002628.jpg


自然石のままなら、明らかに磐座なのですが、スサノオ神の名前が彫り込んであります。
つまりは、石碑という分類に入るのかもしれません。
では、磐座と石碑には、そんなに違いがあるのかを考えてみたいと思います。

  ☆

荒神谷遺跡のある尾根筋は、北方の平野部に伸びています。その端に鎮座する神社が「諏訪神社」です。


DSCN6190.jpg


IMG_1765_convert_20200713230548.jpg


DSCN6186_convert_20200713230247.jpg


IMG_1738.jpg


古代出雲の核心部かもしれない場所に、なぜ「諏訪」というお社があるのでしょうか?
(実はすぐ近くにも、もうひとつの諏訪神社があります。)
荒神谷遺跡のすぐ近くの「諏訪」。私には大変奇妙に思えます。

まあそれはともかく、このお社は何とも不思議な境内を持ちます。


IMG_1742.jpg


IMG_1741.jpg


IMG_1763_convert_20200713230449.jpg


IMG_1768_convert_20200713230631.jpg


そして、今日のテーマでもある石碑。


DSCF6348_convert_20200713230055.jpg


IMG_1754.jpg


IMG_1756_convert_20200713230401.jpg


出雲地域に多い、藁の大蛇神と石碑が一緒に祀られています。

ここでは、磐座と石碑の区別は明確ではないように思えます。


  ☆


一方、長野県の諏訪大社・上社前宮から高遠へ続く杖突街道(国道152号線)を進むと、謎めいた守屋神社を過ぎて、こんな神社がありました。


IMG_2258_convert_20200713224907.jpg


IMG_2274_convert_20200713225406.jpg


IMG_2268_convert_20200713225241.jpg


なんとも不思議だったのは、異様で神秘的な字体が大書された幟(のぼり)。


IMG_2257_convert_20200713224820.jpg


隷書体の一種なのでしょうが、まるで魔法の字体のように見えます。
地域によっては、古い字体の幟が神社の正面に掲げられるのは、ごく当たり前なのかもしれません。しかし、関西の下町育ちである私には衝撃でした。

そして、この巨大な石碑群。


IMG_2265_convert_20200713225152.jpg


IMG_2260_convert_20200713225011.jpg


IMG_2261_convert_20200713225101.jpg


掘られた字が、なんだか動き出しそうな気がします。モノを伝えるための手段という域を超えているように感じるのです。

高遠の市街地に入ってからも、こんな場所がありました。


IMG_2246_convert_20200713224447.jpg


IMG_2253_convert_20200713224632.jpg


庚申と書かれた石碑は、庚申塔(こうしんとう)などと呼ばれます。
ウィキペディアにはこう書かれていました。

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。

庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、塞神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。


ということは、単なる記念物ではなく、道祖神の信仰が付随するケースもあるわけです。
先ほどの神社にある巨石にも、道祖神と彫られていました。

私には、幟と同じく、石に刻まれたこの迫力満点な字体自身に、なにか特別の霊力がこもっているように感じられます。


もう一つ、「甲子」というのは、甲子待(かっしまち)と言って、子の刻(23時ごろ)まで起きて大豆・黒豆・二股大根を供え、大黒天を祀った民間信仰なのだそうです。

  ☆

干支の組み合わせである「甲子」には、甲子の日もあれば甲子の年もあります。
大正13年(1924年)は、20世紀に二回しか回ってこない甲子の年でした。このため、この年に兵庫県西宮市に作られた野球場が、「甲子園大運動場」であり、現在の「阪神甲子園球場」なのです。

うーむ、もし高遠の人が、
「ウチらの甲子塔の大きさはすごいねんで!」
と威張ったら、
「何言うとんねん、甲子園球場の方がメチャでかいやろが!」と言い返せるわけですね。
(我ながら意味不明(?_?)

全くのイメージですが、上の石碑や幟は、諏訪周辺で出土した縄文土器の伸び伸びとした芸術性・呪術性と、どこかで共通しているような気がしてなりません。


P1360207_202007132258579e8.jpg


P1360206_202007132258564f0.jpg


P1360118_20200713225856c65.jpg


P1360238_convert_20190206162315_20200713225852d15.jpg


庚申塔は、江戸時代までほぼ日本全国に分布していたようです。
しかし明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めました。

さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって、残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになったと言われます。
上の写真も、あちこちに分散していたものが、ラッキーにも遺棄されずに一か所に集められたのでしょう。


出雲と信州、石碑のスタイルも時代も違いますが、日本人の伝統信仰を考える上でそれぞれ貴重なものだと思います。
神は細部に宿る・・・祭神とご利益と社殿の立派さに隠れた、オマケのように思われている地味な石碑にこそ、そのお社の重要な歴史が秘められているかもしれません。


IMG_2292_convert_20200713225449.jpg



なんとか記事を続けています。三つクリックしていただくと大変励みになりますので、よろしくお願いいたします(^_^)/~
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

神社・仏閣ランキング

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア