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日本の巨石文化と世界遺産シーギリヤ・この謎めいた類似は偶然か?

昨日の続きです。


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シーギリヤには、1㎞離れたところに「双子の岩山」がありました。
巨大な平石が頂上を覆う、ピドゥンランガラです。


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頂上巨石が作り出す、天然のひさしの下には、涅槃仏がありました。


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番組では、「ここでは古くからあった巨石信仰と仏教が結びついたのです」というナレーションでした。

実はもう一つ、重要な「ひさし」が出ていました。
コブラの岩です。


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最上部に飛び出した岩と、基部の岩屋からできています。
日本国内には、岩屋はもちろん、岩が飛び出した「ひさし」が信仰の対象になっているところがたくさんあります。
国内だけの傾向かと思っていたので、世界遺産シーギリヤにもあったのかと驚きました。

  ☆

「ひさし」には、複雑な謎が潜んでいる場合が多いように感じます。
単なる推測ですが、弥生時代や縄文時代に起源をもつ、一部人工的な巨石文化ではないかという気がしてなりません。

そんな例をいくつか出します。

まずは、近江の名刹・長命寺の本堂背後にある、「天地四方を照らす岩」です。


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長命寺を開闢したと言われる武内宿禰が、この岩に長寿を祈願しました。すると360才まで長生きすることができたとされ、長命寺の寺名の由来ともなった岩です。
謎のデパート、武内宿禰が関わる巨石信仰ですから、何かいろいろ訳アリなのでしょうね。


次は、岐阜県中津川市の寳林山 高徳寺。
境内の山中にある、蛙薬師瑠璃光如来の上には、こんな岩があります。


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そして、福島県二本松市の真弓山観世寺の境内、安達ヶ原の鬼婆が小屋掛けしたという岩屋です。


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鬼婆が食べた、人間の骨を入れた壺というのは、縄文土器や弥生土器でした。
そもそも鬼婆がこの岩屋を作ったのではありません。すでにこの奇妙な岩屋は、鬼婆が来る前からあり、それを利用して小屋掛けをしたのです。

巨石群と、不思議な構成の岩屋。そして人骨と縄文土器や弥生土器。
これは、縄文時代あるいは弥生時代の巨石遺跡ではないのか。
岩屋の下から骨が見つかったのは、ここが古代の祭祀場だったからではないのかと私は考えています。



さらに、縄文時代と言えば、この岩。


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これは、広島県福山市神辺町の御領山です。
山麓には、多量の縄文土器や打製石斧、石鏃、石器の材料となる安山岩の破片等が見つかった縄文遺跡、そして全国屈指の弥生大集落があるため、頂上巨石群は古代信仰の聖地だったのではないかという説があります。

その近くには、まるで人工的な舞台に思える不思議な岩も。


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最後は、長崎県佐世保市の岩下洞穴(いわしたどうけつ)です。

コブラの岩に最も似ているのは、これではないでしょうか?


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発掘調査では、縄文早期から古墳時代までの遺物が出土しました。
特に縄文早期の遺跡部分から、頭や胸に石を乗せた埋葬人骨や磨製石器を副葬した埋葬人骨など、20体を超える埋葬人骨が確認されました。
また、縄文前期には、狩猟具としての石鏃や石槍が数多く出土し、食料としての魚骨、鳥骨、哺乳類や貝類が出土しています。また炉の跡もあり、彼らが洞穴内を居住場所と埋葬場所に使い分けていたことなどもわかっています。

偶然、雨露をしのげる場所があったからここにいたのでしょうか。
そしてそもそも、「ひさし」は天然のものだったのでしょうか。

私は、一部人為的に加工されたものではないかと思っています。
そしてその巨石文化は、ひょっとすると、シーギリヤと繋がる古代アジアの巨石文化の影響を受けているのではないのか。

あまりに飛躍した論理だねと笑われそうですが、ひょっとしたらと私には思えます。

つづく


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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