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国土創世神話の淡路島・卑弥呼と神功皇后と卑弥呼の原像とは?

淡路島は不思議な島です。
なぜかというと、イザナギ神とイザナミ神が最初に作った国土が、おのころ島と淡路島なのです。

神話の話なんてあてにならないと、無視する人もいるでしょうね。天皇家や藤原家に都合がいいいよう、でっち上げられたのだと。
しかしそれが真実ならば、ではなぜヤマト政権の本拠地である奈良や大阪平野、あるいはそれらを含む近畿地方や本州を真っ先に作るというストーリーにしなかったのか。
藤原氏の春日大社周辺でもよかったはずです。

普通は、淡路島の海人たちの神話伝承が宮廷神話に反映したとされています。
しかし淡路島の海人たちが、ヤマト王権の成立と大きくかかわっていたからこそ、その神話伝承が無視できなかったと考えるほかはありません。下っ端やパシリの伝説なら、無視されるのが当然です。

  ☆

ではまず、おのころ島の有力な比定地である絵島
淡路島の北端に浮かぶ、高さ20mほどの小さな島です。


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古来から和歌を詠む月見の名所として人気があるほか、『平家物語』に登場したり、西行法師もここで歌を詠んだことがあるなど、多くの人を魅了してきた景勝地としても有名です。


お隣の大和島も不思議な造形でした。


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この何とも不思議な二つの島の間に、港があります。

ただし、古事記原文においては、イザナギとイザナミが天からおのころ島に降りてきた時、「見立天之御柱」と記されます。
では、その「柱」とは何か?
この柱を回ることにより、次の淡路島を生むストーリーですから、かなり重要です。。

天孫降臨神話では、ニニギ命は「天の石位(いわくら)を離れ」と明確に書かれており、神話上でも巨石・イワクラ信仰は明瞭です。
「見立天之御柱」とは、イザナギとイザナミが木の柱を立てたのではなく、この岩を柱に見立てたものと私は確信しています。
そもそも出来立ての島に大きな木はありえませんからね(^^♪

これが淡路島の南4.6kmの紀伊水道に浮かぶ、面積2.71㎢の小さな島、沼島の海岸に立つ上立神岩です。


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これは訪問者に人気のハートマーク。


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高さ約30mのこの岩こそ、天の御柱だと思います。
西日本各地の海岸にある「立神岩信仰」を考慮するなら、海洋民の原始信仰がこの岩にあったと考えて無理はないと思っています。

ちなみに、沼島へは淡路島からこんな連絡船に乗ります。


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周囲には、こんな不思議な岩も。


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なお参考までに、野本寛一先生が
「海岸に鋭く直立するこの岩が神の依る岩であることを実感した」
と書かれた、鹿児島県・笠沙の立神岩です。


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天孫降臨神話に笠沙が登場するのは、この立神に代表される海人系の神霊来臨信仰が影響していると私とは考えています。


  ☆


これは、淡路市仁井舟木の石上神社です。


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実はこの石上神社、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」の一番西の端にある磐座として、一時は脚光を浴びました。
この箸墓を中心に、東へ約七十キロメートルの伊勢斎宮跡と、西へ約八十キロメートルの伊勢久留麻神社及び舟木石上神社という、対象をなす「二つの伊勢」がある。
そしてその東西線上に、さまざまな遺跡や信仰跡が位置する。

という仮説です。

東西線上に並ぶと言っても、実際には南北にけっこう外れているという指摘などもあり、結局学術的にはほとんど重要視されなくなりました。

ところが近年、石上神社の周囲に驚くべき遺跡が埋まっていることが明らかになってきました。
舟木遺跡です。
ここは過去に淡路市黒谷で見つかった近畿最大の鉄器生産工房「五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)」を上回る、国内最大規模の鉄器工房跡の可能性があるというのです。

時代の最先端を行く生産技術があったわけです。鉄は国家なり・・・ですね。


  ☆


日本書紀の応神天皇紀には、こんな記述があります。

即位22年春3月5日、難波の大隅宮に行幸。14日、高台に登り遠望した。その時、妃の兄媛(えひめ)が西の方を望んで嘆いた。なぜ嘆いているのかを問うと故郷の父母が恋しいからだと兄媛は答えた。兄媛は吉備氏の娘であり故郷の方角を見て望郷の念にかられたのだった。そこで兄媛の里帰りの希望を許し、淡路の御原の海人八十人を水手として集めた。そして4月に大津から吉備に向かう兄媛を見送って歌を詠んだ・・・。

いわば皇后陛下を船で吉備までお送りするというのですから、淡路の海人たちと王権との深い信頼関係がうかがえます。
安全かつ快適な大船もあったのでしょう。
応神天皇自身も、淡路島で狩りをしています。

これらから考えると、もはやヤマト王権の前身はこの淡路島にあったのではないかと思いたくなります。
宇佐系、宗像系の信仰はもちろん、安曇一族も居住し、物部という地名もあります。九州から瀬戸内海を通ってきた軍勢や先進文化も、一度はここに上陸したのでしょう。下手に通ると渦に巻き込まれます。

応神天皇の母親は神功皇后です。前回、神功皇后と卑弥呼と天照大神に、日食という共通点がある事を記事にしました。
不思議なことに、三人の女性は隠れたところでしっりつながっていたのです。

日本書紀には、神功皇后と応神天皇が忍熊王軍と戦う時に太陽が暗くなったと記されます。
そしてその原因は、二人の祝(はふり)を死後同じ穴に埋めたからと、奇妙な原因が記されます。
この時の事件、実は正当なヤマト王権の継承者は忍熊王であって、神功皇后と応神天皇のほうがクーデターを起こしたのだという学説も有力です。

ひょっとすると、淡路島に基盤を持つ「西軍」の神功皇后・応神勢力が、崇神王朝の「東軍」に勝ち、その複雑な歴史を後世に藤原不比等たちがうまく整えたのかもしれません。ペンキを厚く塗って、亀裂を覆い隠したような気がします。

  ☆

なお、淡路島には岩戸神社も複数あります。
ひょっとすると、天岩戸神話の舞台もここにあったのでしょうか。


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そのほかにも、原始信仰を感じさせるお社はいくつもありました。


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いずれにしろ国土創世神話の舞台が淡路島なのは、その原始的な神話伝承を携えた人々が、まちがいなく王権の中枢にいたからだと私は思います。
そしてその原点は、やはり海人たちの上立神岩に対する信仰ではなかったのでしょうか。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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