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北斗七星という謎めいた神仏・観心寺と空海と巨石信仰

「お前はもう死んでいる」のケンシロウは、伝説の暗殺拳"北斗神拳"の伝承者でした。
いやー、むかしよく流行りましたね。
この『北斗の拳』には、「死兆星」という設定があります。死の運命を背負った者には、北斗七星の脇に輝く小さな星「死兆星」が見えるというのです。

この星はアルコルという実在の天体であり、天文学では二重星の例として知られます。
視力が悪いと一つの星にしか見えないこともあり、「見えると死ぬ」「見えないと死ぬ」といった伝説が各地にあるそうです。
古代ギリシャやローマ帝国では、徴兵合格基準として死兆星が視力検査に使われていて、死兆星が見える視力の良い者は戦争に駆り出され、その結果大怪我や死につながるのですから、いずれにしろヤバい星ですね(>_<)
これを入れると北斗八星になります。

では本題に入ります。
観心寺は大阪府河内長野市にある、高野山真言宗の有名な寺院です。


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正式名称は高野山真言宗遺跡本山檜尾山観心寺といい、日本で唯一、北斗七星を祀る霊場なのだそうです。
その昔、空海は境内にあるご本尊如意輪観音菩薩を囲むように7つの星塚を配置したとされています。
すべて巡ればその1年の厄除けが完了するとされ、足場の悪い山道を歩く方も多いようです。


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これが、本堂の周囲をめぐる北斗七星塚です。


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ところがこの案内では、八番目は鎮守堂(訶梨帝母天堂)になっていて、これを入れると八星ですね。


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「死兆星」を入れて北斗八星とはどこにも書いてありませんが、じつは北斗八星の霊場は他にそこそこあるようです。

気になるのはこれです。土を盛った塚には、いったい何が埋められているのでしょうね。


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それにしても
ご本尊、ご本殿の周りの塚をぐるっと一周する・・・・これはどういう意味なのか?

これを企画したのが本当に空海であれば、単に周った人の厄払いだけを考えたとは思えません。壮大な、あるいは宇宙論的な意味があったのではないか?

実際の天空では、北極星を中心に北斗七星が周回します。北極星の上では天空高く、そして北極星の下では地面に近い位置で。これに対し観心寺では、ご本尊の背後では山中の高い所で、ご本尊の前では低い地面で・・・・つまり周回パターンも似ています。
ただ、見かけ上の北斗七星は反時計回りてす。
観心寺では時計回りで、逆なのはなぜか?

ヒントはこれでしょう。

戊辰戦争で酒井玄蕃率いる庄内藩二番大隊が掲げた軍旗「破軍星旗」は、北斗七星を逆さに描いたものである。破軍星を背にして戦うと必ず勝利するという中国の故事による。
(ウィキペディアより)

この事例から考えると、時計回りとは、天空を背にした、天空から見下ろした動きなのではないか。
参拝者は、北斗七星の星となり、下界を見下ろしながら周回しているのでしょう。つまり参拝者は、単に「ご利益をいただく」というより、みずから星の神となって中心のご本尊を守っている立場になる、それを空海は意図したと私は思います。


次に私が気になったのが、この平らな岩です。名前は弘法大師礼拝石


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これは高野山。


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観心寺の位置は、空海が眠る高野山奥の院の真北に当たります。
つまり高野山からは、観心寺が北極星の輝く地であり、北斗の星がその周りを巡る聖地なのでしょう。

そんな事実から推理して、観心寺の参道、その先の弘法大師礼拝石、そしてそのまた先の如意輪観音菩薩がある本堂は、きっと真北方向へと位置しているに違いない。
おそらくはこんな景色なんだろうと私は確信しました。


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これは受験の神様である天神さんの本家、京都の北野天満宮に貼ってあったポスターです。
北野の天神さんになぜ北辰信仰があるのかはともかく、観心寺もまた、空海の北辰信仰をこのように表したのだと確信して、境内が真北に向いているか確認しました。

すると、意外なことに真北から東へ15度傾いています。

・・・・・何やねん、空海はん。詰めが甘いんとちがいまっか!
せっかく高野山奥の院の真北に、弘法大師礼拝石と北斗七星の塚をわざわざ設置したのに、ご本尊のラインが中途半端に斜めでんがな。
これでは北極星と北斗七星が本堂の上にかっこよく出ませんわ。北野の天神さんに負けてます。ブログの結末をどう閉めたらええねんな。ケンシロウに頭殴られてぼけたはるんか・・・・
などと知的かつ上品に?考えていると、ふと気づいたことがあります。

何度かこのブログで書いたように、
空海の御生誕所とされる「善通寺」と
空海が修行した中国長安の「青龍寺」と
空海が入定した「高野山」の緯度が
どれも北緯34度13分に位置している

のです。

これは「空海曼荼羅の道」あるいは「日本のダビンチコード・空海ライン」などと称される巨大な謎です。
いったいどんな方法で正確な東西がわかったのでしょう。空海は土木技術も唐で学び、帰国後はため池の土木工事の指揮もしていますから、最先端の測量技術も身に着けていたでしょうね。名付けて空海グーグル?

となると、グローバルな国際的知識人でもあった空海が、ぼんやりと方向を間違えたなどという事はあり得ません。なにか深い理由があったはずです。

そう思って地図を見ると、真北から東へ十数度ずれた方向の彼方には、こんな場所がありました。ひょっとして・・・・


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ここは、嵯峨天皇(弘仁年間 810~824年)の頃、空海が宝窟に入って秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)がこの地の南西方面に降り、等距離の三ヶ所に分れたという伝説を持つ交野市私市の獅子窟寺


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周囲には、星田妙見さんも。


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この辺りは、「天の川」もある星と天空の聖地です。

観心寺も獅子窟寺も、まず役行者によって開かれ、百年ほど後に空海が北斗七星の聖地にしています。
空海は、観心寺の奥の院を獅子窟寺周辺とし、高野山・観心寺・獅子窟寺の北辰ネットワークを作り上げたのではないのか。

空海や北辰信仰の研究者からは、そんなもの偶然に決まっている、奥の院も近所の川上神社だとお叱りを受けそうですが、はたしてそうでしょうか。一応問題提起として記事にしました。

人は、自分の心の鏡の大きさでしか、相手を映すことはできません。私のささやかな鏡では、空海の全貌を映す事などできっこありません。しかし、空海がとんでもなく大きな謎を秘めた人物であることは、そんな私にも、うすうすは分かります。
さて、真実はいかに・・・

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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