新道岩陰遺跡・神社以前の祈りの場
- 2021/01/31
- 06:00

芸能人を生で見たら、オーラがすごかった!なんて話があります。オーラなんて主観的なもので、数値化できないアヤシイ概念です。しかし巨石磐座信仰や古代遺跡の中には、写真では地味なのに実際に行くと何とも不思議な雰囲気を醸し出すものがあります。たとえばこれをご覧ください。「別にフツーじゃん!」という方も多いでしょうが、「何気に不気味!」とか「ちょっと独特の雰囲気を感じるけど・・・」という方もあると思います。...
鎌足と霊石の不思議な関係を推理する
- 2021/01/29
- 06:00

鎌足が乙巳の変(大化の改新)を決意したという、聖なる輝きを発したのが、この光明岩でした。(桑原・地福寺様資料)昨日は載せていなかった、もう一枚がこれです。これを見ると、山腹のちょっとした平坦地の端に、岩があるように見えます。このような、背後が崖っぷちや急な斜面という場所に磐座があり、手前に人工的な広場があるという信仰様式もしばしばあります。例えば伊勢内宮の背後。この磐座は、式年遷宮の最初の祭りであ...
藤原鎌足の知られざる謎と光明石
- 2021/01/27
- 06:00

昨年末の深夜のことです。ケーブルテレビのチャンネルを適当に変えていると、韓国の歴史ドラマが放映されていました。「わが国存亡の危機なのだから、日本の天皇にお願いして○○様の帰国を許可してもらおう」などとテロップが入ります。そのうち図面には、頭にキラキラ揺れる金の飾りをつけた身分の高そうな女性が出てきて、テロップには「皇極天皇」と出ました。先ほど「○○様」と呼ばれていた男性本人が、故郷に帰る許可をぜひとも...
御崎神社(荒島)・出雲のミサキにある自然信仰
- 2021/01/25
- 06:00

島根県安来市の荒島町にある御崎神社です。現在は、静かな住宅地という雰囲気の中に鎮座するお社です。しかしミサキという名前から想像すると、かつてはこの近くまで中海の海岸が迫っていたのでしょうか。そして境内にあるこの大きな岩を、神の依りつく磐座として祀ったお社かもしれません。社殿背後は岩壁です。丘があるのでしょう。境内を出て左奥には、こんな表示がありました。何があるのでしょう。登ってみます。丘の上には、...
知れざる日本の巨大ドルメン文化と後醍醐天皇行在所
- 2021/01/23
- 06:00

笠置山から発してあれこれ記事を書いてきましたが、もとの笠置山巨石文化に戻ります。頂上の巨石には誰もが驚き、そしてたくさんの写真や情報がネットにあります。しかし私が最も注目するのは、ほとんど注目されることのないこの二つです。まずは、一人なら何とかよじ登れる、巨大な岩のすき間があることです。その最上部には、こんな丸石が載っています。もちろん人の力で簡単に動かせるような大きさではありません。冬枯れの季節...
邪馬台国と北九州の「太陽の道」
- 2021/01/21
- 06:00

東アジア的な視点では、王権の移動が地名の移動を伴う事が珍しくないようです。となると、笠置や三輪を含む地名が北九州と畿内で重なる以上、もっと他にも両地域に共通する信仰文化があったかもしれません。(旧三輪町大己貴神社ホームページより)とりわけ三輪中学校や三輪小学校の北にある筑前町弥永の大己貴神社付近は、奈良県桜井市三輪の大神神社の地形と大変良く似ています。「三輪の神」を奉ずる信仰集団の移動があったと考...
笠置山と三神宮と『卑弥呼の三女神社』
- 2021/01/19
- 06:00

日本の巨石信仰を代表するような、飛び切りの場所ばかりがほぼ一直線に並ぶ事という、何とも奇妙な事実は前回、前々回で示しました。そして、笠置山からさらに北西へと伸ばした場所の?マークが、今回話題にする三神宮です。実は昭和の昔、ここを参拝訪問したことがあります。たしか小さな本殿の前に、木の切り株の化石のような、不思議な雰囲気の岩がぽつんとありました。今回この記事を書くにあたって、アップで撮影しておこうと...
笠置山という霊地と後醍醐天皇
- 2021/01/17
- 06:00

前回の最後、鍋倉渓から笠置山へ連なる直線上に、巨大な岩が並ぶ事を話題にしました。今ではごく一部の巨石マニアにしか意識されない、忘れられた古代の謎です。グーグル地図では完全な直線からわずかに外れますが、国土地理院五万分の一地形図では、完全に直線が引けます。(そもそも地図に直線を引くのは邪道らしいのですが)その線上に位置する笠置山の話題です。 ☆関西への修学旅行では定番の奈良・東大寺には、二月堂や三...
サブカル的『ピラミット・巨石・超古代史』論
- 2021/01/15
- 06:00

神社の起源にも関わる「巨石・磐座」文化について、厳密には考古学的な発掘成果や出所の明らかな文献によって研究されるべきものでしょう。一方、様々な古史異伝をもとに、『太古日本のピラミッド』のようなサブカルチャーあるいはカウンターカルチャー的な古代史も絶えず喧伝されてきました。懐かしい昭和に遡って、その流れを出版物でちょっぴり紹介したいと思います。 ☆スマホもパソコンもない時代、書籍以外で新たな歴史的...
王位石と失われた古代遺跡
- 2021/01/13
- 06:00

ひょっとすると私たちは、日本の神社の歴史において、何か大きなものを見逃してきたのではないか・・・・そんな気持ちがするのが、このブログの原点である五島列島最古の沖神嶋神社です。.このお社は代々平戸藩主の崇敬も厚く、小値賀、宇久、五島の宗廟として現代まで広く崇められていた神社です。さらに縄文前期、今から六千年前に朝鮮半島南端で作られた土器がこの島の遺跡から発見されているなど、東アジア的な視点が必要な神...