記事一覧

ボクらは怪しい探検隊・出雲大神宮一万年の核心に迫る

さて、出雲大神宮が、極めて古くからの由緒があることは歴然としています。出雲大社の故地、すなわち元宮であるという伝承があっても不思議ではありません。この立て札を見てください。なんと「皇祖より壱萬年以前」と書いてあります。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたるとされますから、ほんとうなら縄文時代の開始早々ではないですか!!では、境内の様子です。さてこのお社は、しめ縄をめぐらせた磐座があちこちにあります。下...

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ボクらは怪しい探検隊・丹塗り矢伝説の桂川をさかのぼる!

丹塗矢伝説といえば、男性神が赤い矢に化け、川上から流れてきてお姫様の所へ現れて、最後は結婚するという伝説です。『古事記』に記されている、神武天皇の皇后に関わる伝説と、「山城国風土記」逸文にある賀茂神社の玉依姫の伝説が有名ですが、松尾大社にも丹塗矢伝説があります。ただの思いつきなのですがひょっとすると、矢が流れてくる川の上流は、神社にとっての聖地ではないのか?いったい、丹塗り矢はどこから流れてきたこ...

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夢のお告げと真鍮の製法・広徳寺の不思議な伝説

大変珍しい由来を持つ寺社のひとつが、滋賀県甲賀市水口町の「広徳寺」です。ここには、金属の信仰があるのですが、鉄でも銅でもなく、真鍮(しんちゅう)の祖神・開祖を祀ります。≪日本民俗学は、「藁の文化」すなわち稲作文化のみに固執し、金属器文化に注意を払わなかった≫とその著書『青銅の神の足跡』に書いたのは、谷川健一氏でした。たしかに日本は稲作文化の国だと、無意識に思いがちなのは確かです。谷川健一氏に敬意を払...

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岩神神社のゆるぎ岩を推理しました

和良の重ね岩(ゆるぎ岩)が結構好評でしたので、「赤磐のゆるぎ岩」も詳しく紹介します。所在地は、岡山市赤磐市惣分、「ドイツの森 クローネンベルグ」の南にある岩神山の山中です。麓の集落から20分ほど登ると、岩神神社が鎮座していて、その境内は巨石累々。まず、社殿と呼べるのは、上の質素な拝殿だけです。ここには、ホームセンターでよく見る引出しケースがあって、その中にはお札などが入っていました。これはおみくじ付...

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はるばる壱岐から京都に来られた月の神様

蚕の社の太陽神は、伊勢神宮の天照大神とは別系統の太陽神でした。同じように、『古事記』『日本書紀』の神話において、天照大神の兄弟神として知られる月読尊とは別系統の月神を祀るのが、松尾大社摂社の月読神社(つきよみじんじゃ)です。海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定されますから、はるばる壱岐島から海を渡ってここまで来られたことになります。京都市西京区松室山添町に鎮座。か...

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太秦の謎めいた神社・木嶋坐天照御魂神社

昨日記事にした、太秦広隆寺。その真東、距離にして500mほどに位置するのが、「蚕の社」です。正式名は木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)ですが、こんな長い名前を地元の人は使いません。あくまでも「かいこのやしろ」と言わないと、道を聞いても通じないでしょうね。この神社名は「木嶋という場所に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、伊勢の天照大神とは別系統の太陽神です。実はこのお社、松...

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「太秦」という奇妙な地名・広隆寺とユダヤとダビデ

京都の太秦(うずまさ)という所は、謎とロマンに満ちた場所です。その中心は広隆寺で、嵐電が路面を走る、賑やかな三条通に面しています。嵐電の色は変わりましたが、市バスの薄いグリーンは昔々から一緒です(^_^)/~塀に沿って右折すると、太秦映画村へ。(昔は東映ボウルで、ボーリング場だけでなくゲームセンターもあった。私のような悪ガキ・・じゃなくてお坊ちゃまには、映画村よりゲームセンターの方がよかった。しかし時代を先...

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邇邇芸命 最初の宮跡・密林に覆われた宮ノ山遺跡

密林に覆われた遺跡といえば、マヤ文明を思い出す方もいらっしゃるでしょうね。しかし九州の西南の果てには、密林の中に不思議な遺跡があります。鹿児島県南さつま市笠沙町の宮ノ山遺跡です。ここは、邇邇芸命(ニニギノミコト)の最初の宮跡と伝えられています。さて、日本神話の「天孫降臨」では、天照大御神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたとされます。その際、「古事記」には「此処は...

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圧巻の白い巨石神・石像寺の磐座を探検する!

(昨日の続き)石像寺の裏山に磐座がある。この由来によって村の名を岩倉といい、寺の名を石像寺としたようで、この地を信仰の対象として崇拝したのはもちろん、磐座を神格化し、神として祭祀したものである。この磐座は高さ十数メートルの巨岩いくつかが一石群をなし屹立して、天を摩すような姿は神秘的であり、実に雄壮である。(丹波市ホームページより)さて、この白い巨大な磐座へは、広くて歩きやすい山道が続いていたはずです。...

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昭和の巨匠 重森三玲の遺作「四神相応の庭」は復活したのか?

『巨匠 重森三玲と松尾庭園・日本庭園の源流は巨石磐座信仰か? (2018/02/06付)』の記事でお伝えしたように、兵庫県丹波市の「石像寺」は2014年8月の丹波豪雨で本堂や位牌堂などが被災し、庭園にも大量の土砂が流れ込んで壊滅的な被害をうけました。特に「四神相応の庭」は、昭和を代表する庭園家、重森三玲氏の遺作のひとつとも言うべき貴重な芸術品でした。その修復が先日完了したらしく、2018/1/20 20:35神戸新聞NEXTには...

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プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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